[経済史]「豊かな社会」と「マルサス的社会」2つの大分岐
今回から、経済学についてまとめていきます。
僕自身、専門は物理学ですが、興味があり経済学も勉強しています。そのため、あくまで専門ではない人が書いたものだと思って読んでください。可能な限り引用元を示して書いていきます。
「マルサス的社会」は、マルサスが著書の中で述べたように、「経済の成長と需要が追いかけあう」社会である。すなわち、富が増えていく中で人口も増えていく状況である。マルサスはもともと生産力の発展については悲観的な見方をしていた。人口が増えなければ富が増えることはない、と考えられた。
マルサス的社会では経済の3大要素として、資本・労働・土地があり、それらの足し合わせで富がはかられた。しかし、この方法では一人当たりの富を測ることができないので、ここに技術を掛け合わせて次のように「国富」を定義した。
国富=(資本+労働+土地)×技術
実際に、江戸時代の日本を見てみると、1700年ごろまではこの「マルサス的社会」にあたる状況であった。江戸時代のなかでも1600年ごろから1700年ごろまでは人口が増加しているが、それと同時に耕地面積なども増えている。この時代以前、すなわち、分かりやすい例で言えば日本の戦国時代のように、領地を増やすことによって人口や土地を増やし、それに伴って富が増えていくのだ、という考え方がされていた 。
一方、「豊かな社会」とは、土地や人口が増えずとも富が増えていくような社会である。先ほど挙げた江戸時代の例を考えると分かりやすい。江戸時代の後半、1700年以降では、人口や耕作地が大幅に増えてはいないにも拘わらず、実際の米穀[木越5] などの生産量は増えている。すなわち、「経済成長と需要が追いかけあう」社会ではない。
特に欧米では、産業革命後にうまれた社会が「豊かな社会」である。産業革命を通して、人類はエネルギーさえあればいろいろなものが生産できるようになった。産業革命を通してイギリスでは、労働力を削減することによって富を蓄えようとする資本家によって産業革命がおこった。このようにして、労働力が増えずとも生産性が向上し、それによって「農民」など、いわゆる生産者が少なくなっていく中でも富を享受できるのが「豊かな社会」である。 産業革命以降、人的資源が少なくとも生産することができるようになってきた。そのため、今では単にお金で豊かさが判断されることもある。しかし、単にお金だけが豊かさの基準ではないことは明らかである。そのような「豊かさ」を追求していく学問として経済学がある。
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